建築家という職能。 建築家という人間。 建築家という生活習慣や、考え方の思考の癖。はものすごいです。 こだわりや、執着心。感覚的なセンス。 特殊な人間の才能ではないかと思う反面。 それが、逆に怖くもあります。

建築家の妻

建築家の妻が、建築家である夫の日々の名言を忘備録として残したもの

相続建築家

「本当のところ建築家なんて

相続を控える世代の相談相手に過ぎない。」

 

 

建築家である、夫は投げ捨てるように呟いた。

 

お金を少しでも持っている、「親世代」は自分たちの資産を少しでも税金で持っていかれないように、投資としての建築計画を視野に入れているようだ。

 

「長生き」に負けない生き方 (講談社+α文庫)

 

建築家の役割は、資産を目減りさせずに出来るだけ価値のある建物を計画すること。

 

価値とは、賃貸収入のことだ。

 

賃貸収入が建築金額の元となる。

それが、試算されないと

なにも始まらない。

 

子供世代に良い建築を残そうなど微塵も考えていない。

 

良い建築なんて考える余地さえない。

良い建築の定義さえもわからない。

 

そんな施主はかわいそうだ。

そんな建築家はかわいそうだ。

 

良識のある、ブルジョワジーの家であれば、良い建築のイメージを生まれながらに持っているのだろう。

 

地域の文化や暮らし、

風土に馴染みながらも

人々の記憶に残る。

愛着のある建築を

 

 

でも

 

そんなことできるのは、相当の資産がないと思い切った行動に出ることは難しいだろう。

 

建築費も利益を度外視したものになるはずだからである。

嗜好を凝らした、一個人の趣味とも言えるかもしれない。

 

しかし、その個人の趣味が、その地域にとってかけがえのないものになるかもしれない。

 

ちょっとおかしいんじゃないかと言われるくらい。

それくらいの思いの強さ、芯の強さ

がないと

 

建築を形にすることは困難である。

その思いと、十分な資金が無い限り

この世には形となって現れない。

 

建築にはそんな

膨大なエネルギーが込められている。

 

そういった施主に出会えたら

建築家は幸せだろう。

 

しかし、建築家は奢ってはならない。

 

それは

君1人で建築を作っているわけではないからである。

 

 

多くの方の協力のもと

無力で、非力な建築家が

単に祭り上げられているのだから

 

ひとりの人間として、まずは自立しよう。

まわりをよく見よう。

 

子供ではないのだから

 

 

あなたのことを先生と呼ぶのは

ある意味馬鹿にしているようにも聞こえるし

 

昔からの風習なのだろうか。

 

先生のような、建築家は人間として腐敗するのみだろう。

 

自分が誰の策略の元に

その場所に立っていられるのか

きちんと自覚できれば

幸せだろう。

 

過去の悪しき風習は、もう捨ててしまえ