建築業界の触れてはいけないジレンマ。負のサイクル。
こんにちは、建築家の妻です。
近頃建築家の夫が
建築業界について危惧していることをボソッとつぶやくので、その言動をお伝えしたいと思います。
建築家の夫は建築設計を主として、社会に貢献する立場なのですが
建築業界には
大きく2つの立場に分かれるそうです。
・発注者
・請負者
発注者は、大企業から個人といった、建築に関する知識の差も案件によって変わります。
大企業が発注者の場合
そのほとんどの場合業務をどこかの会社に外注していたりすることが多いです。
まったくの素人が行うことは稀なのですが、たまに土地区画整理事業などで、地権者、権利者になることがあり、巨大なプロジェクトに巻き込まれることもあります。
建築家の夫曰わく
「なぜ公的な立場である発注者と政治的な関係で施工者と癒着しているのだろうか、忖度の世界だ。。」
発注者の立場というのは、難しいものです。
発注者の中で対立があるとなおさら、、請負者は振り回され続けるのです。
請負者には、設計者、施工者、下請け、孫請け、その下請けなど、連鎖的に増えていきます。
発注者から、プロジェクトの進行を任された会社も請負者と言えるかもしれません。
発注者も請負者となるのであれば、何が何だかわからなくなってしまいそうですが
発注者のその事業を計画するという意味においては、お金を貸す会社が大きな権力を持っているとも言えます。
「プロジェクトはお金儲けをするための、種だな。種を蒔くために人を雇い。働かせる。酷いもんだ。」
金のために、人を動かし。
人が動くことで、金を稼ぎ。
その働いた金は、事業者である資産家へ向かう。
銀行、株主、資本家、資産家などと噛み砕いていくと、最終的に個人にたどり着くのかもしれません。
「なぜ建築をつくるのか。その命題は資本主義のサイクルに巻き込まれていること然り。」
建築とは、巨大なお金を効率よく回す資産家にとって都合の良いマネーマシンであるのかもしれない。
「世の中のためになる建築とは何なのか?」
何故建築をつくるのか、その本質が見えてくると、そのジレンマにやるせない気持ちが沸き起こる。
「設計者としてもがいても、結局決めるのは発注者なんだよ、、きっといつか、皆がぶつかる壁だよ。」
発注者を説得することも、確かにひとつの手段。どうにもならないケースに直面することは。遅かれ早かれきっとくる。
壁にぶち当たるんです。
著名な建築家として、その壁を越えたからといって、なにかが変わるわけではない。
その立場になる時点で政治的な癒着が見え隠れする。
発注者と忖度の上で成り立つ関係ほど脆いものはないが、建築家はパトロンという存在があったように。
おそらく、政治に左右される存在なのだ。
これは、ものを作るというシステムからして回避することが難しい。
自らの家を設計すること以外、本当の意味での自由はないだろう。
結局は周囲の声に耳を傾ける姿勢が大切なのかもしれない。
コミュニティデザインというものがあるらしいが、本当にそれが実現したいことなのか。
建築業界のどの立場になったとしても、自由にならないのであれば、資産家として声を出すほかないのではないか。
資産家、資本家として世の中に良いものを、良い建築をつくることが
建築家としての本当の役割なのではないかと思う。