建築家という職能。 建築家という人間。 建築家という生活習慣や、考え方の思考の癖。はものすごいです。 こだわりや、執着心。感覚的なセンス。 特殊な人間の才能ではないかと思う反面。 それが、逆に怖くもあります。

建築家の妻

建築家の妻が、建築家である夫の日々の名言を忘備録として残したもの

台風の目 一級建築士という、阿呆で馬鹿げた制度

みなさん

一級建築士という資格に信頼が持てますか?

一級建築士という資格がいかに、意味のない資格かご存知でしょうか?

 

建築系の大学を出たばかりの、なんの知識もない学生が、簡単な試験を受験し

いとも簡単に合格しています。

 

なんの知識もない社会人1年目の人間が、会社の指令にしたがって

大規模な建築の設計を行なっています。

 

建築士という資格の意味、価値、信頼はどれほどのものなのでしょうか。

最近建築士法の改正が行われる予定で、なんの知識もない、学生にも一級建築士となる門が開かれているのです。

なんの知識も責任もなく。限られた情報の試験にたまたま合格しただけの人間も

責任のある建築を担う人間になることができるのです。

 

しかし

 

建築とはそういった

机上の論だけで

 

図られるものなのでしょうか。

 

建築業界とは稀に見る怠惰な業界で(全世界的に見る)

何百年も大した進歩もなく。

イノベーションもなく

 

施工技術の進歩もなく

 

なんの技術革新も行われない業界なのです。

だからこそ、さらなる怠惰の業界に舵を取るべく。

日本建築士会の代表となる方は

 

怠惰の最たるもので

 

今後の建築界の未来を考えることをせず。

目の前の利益のみを追求している。

 

建築における試験など

海外にはなく

 

ある、建築教育を受けたこと

すなわち建築家としての資格を認定される。

 

そう

 

机上の論だけではない。建築論を深めた者にのみ

建築家としての称号が与えられるべきである。

 

この改正は

単なる資格競争の激化をもたらすものでしかないし。

資格学校という意味のない、学校の利益享受の構図が容易に伺える。

 

なぜ、学生にまで

資格の勉強を強要するのか

 

資格のお金を奪おうとするのか

資格が時間を奪おうとするのか

建築の時間を奪おうとするのか

 

学生の時間が

もっとも建築について

深く考えるための

 

良好な時間であるのに

 

なぜ

 

建築士会のお偉い方は

その未来をつぶすのか

 

それは

大手建築設計事務所の弱みでもあるのかもしれない

 

大した才能もない学生が

自社の設計をしてしまう。

(そういう学生しかいない2番手以下の設計事務所

大した建物もできず、模倣しかできない。

 

新しい価値を生み出すことができない建築設計事務所はその、存在意義がない。

設計をする意味がない。

 

一級建築士という制度がなくなればいい。

経験や実績に基づく

カーペンターのような

 

本当に良い建築を生み出すことができた人にのみ

その資格を与えるべきである。

 

そこまで、建築士の量は求められていない。

その事実を知りながら、経済活動として供給を止められない。

それは

 

食えない資格として、大量に供給され続ける

無能な三流一級建築士の害とも言える。

 

「腐ったリンゴは、捨てなければ」

「新鮮なリンゴを、腐らさないために」